あの日の贈り物

明け方まで降っていた雨も、まだまだ強烈な残暑の日差しの前に涼を呼ぶにはほど遠く。
あの日は、蒸し暑かった。
窓から手を伸ばせばお隣の窓掃除ができてしまう密集した住宅地。風通しには定評のある我が家は室外機がフル稼働しているただ中にあって、夏場は外より暑く、冬は冬で当然のようにすきま風が寒いステキな住環境だった。わざわざ転居してきたネズミ君達にはまた別の意見もあるのだろうが、少なくともホモサピエンスには堪らない。
堪らない、と言いつつ滴り落ちる汗をタオルでぬぐいながら、でも僕はタオルケットを敷いた座布団にずっと鎮座しつづけていた。別に何があったわけじゃない。ただ単に、当時の僕には時間に価値が無かっただけだ。
短期深夜バイトでドカッと稼ぎ、その蓄えが無くなるまで何もしないで過ごす、それが当時のライフサイクルだった。時間とは食いつぶすモノ。
1週間ほど誰ともしゃべっていない。生産的な事といったら麦茶を湧かして汗腺から蒸散させることくらい。昨日の晩ご飯はメインディッシュがスーパーの試食品。そしてデザートに半額のクリームパン4分の1。
全身に染みついた怠惰と妄想、背中に張り付いた微かな焦燥。
――不快指数とは言ったものだ。
生ぬるい風をかき混ぜる扇風機に流石に嫌気が差し、僕は重いケツを上げる事にした。せめて出かけよう。こんな湿った座布団より、自転車にまたがったほうがよほど良い。小一時間は時間をつぶせるし、少しはマシな風が受けられる。それに……
それに今日は、食いつぶした時間が積み重なって、別のステージに移る記念日でもある。それがそびえ立つゴミの山であっても、そう言う日はなにかしらイベントをするものだろう?
 

壊れた箇所を投棄自転車から部品をかき集めて修理し、だましだまし使っている愛車は、その過酷な扱いのワリに快調に転がっている。遠慮無く踏める川沿いのサイクリングコース。両脇に茂っている草花にはまだ今朝の雨雫が残っている。
風が気持ちいい……。止まれば最後、全身から汗が噴き出てくるだろうが。もっとも、僕は汗を流す事はキライじゃない。皆そうだろう。汗をかいた後すぐに流せるなら、汗を嫌う人なんてそうはいないんじゃないか?
風を掻き分けつつ、景色を後ろに飛ばしてゆく。
これがいい。この感覚が、自転車の良さだ。散歩では景色が流れない。ジョギングだとすぐに肉体との対話が始まってしまう。
気持ちよく愛車と転がっていた僕がそれに気が付いたのは、さてどうしてだったか。ともかく、僕は気が付いて自転車を止めた。右手に流れる河の、その上空全体、視界いっぱいに広がる、大きな大きなアーチ。
 
見事な虹だった。
 
青白く光る空に輪郭を滲ませながら、しかし鮮やかにそびえ立つ虹。なんだか愛車を捨てて駆け出せば麓に届きそうな、翼を広げて空を駆けても決して手が届かないような、そんな遠近感が狂ってしまう姿。*1
「見事な虹ですねぇ」
後からやって来た人が、自転車を止めていた僕に話しかけてきた。
「ええ、本当に。こんな見事な虹は初めて見ました」
そこにあるモノをそこにあると分かち合いながらする会話は、それだけで心地良いと言う事を僕は知った。素直に言葉を返して(いつ以来だろう!)、僕はその人としばらく、大きな大きな虹を眺めていた。
他にも誰かいたかも知れない。あの大きな虹を、一緒に眺めていた人が。
うん、悪くない。
こんなクソのような人間の、クズのような時間の積み上げに対して、ずいぶん上等な贈り物じゃないか。
いずれこの日の事は忘れてしまうだろう。1年前の今日の事を思い出せないように。2年前の、3年前の今日を忘れてしまっているように。
いや覚えているかも知れない。10年前の今日なら覚えている。12年前も。
今日、僕は生まれた。
こんな大きなプレゼントは、生まれて初めてだ。
 


友人からメールがあったのは夜だった。文面は一言「至急TVを付けろ」。
はじめは、何か途轍もない間違いが、あの国のスケールに合わせた途方も無い大きなミスが、あんな事故を起こしたのだと思った。
2機目がビルに突っ込んでくるまでは。
 

今日、残暑が厳しく暑苦しいお昼頃、僕は生まれた。

*1:あの時僕は「幻想」という言葉の本当の意味を理解できた。