未来に必要ないモノ
年末年始とネットに繋げなかった分、精力的に消化しております主にニコ動を。ブログ界隈を徘徊しておりますと、興味深いエントリーもいくつかありましたし、新たに発見したブログも、残念ながら二度と来ねえよ! なブログもありました。アンテナに反映しておりますので興味のある方はぜひって、そんな奴ぁいねえですか。只今某マサカズな田村さんがビールと間違えたその他雑種酒を飲んでおりまして*1、文体がふわふわですがご了承下さい気分はまだ正月だし。
さて、たまった新聞を片付けていてショッキングなモノを見てしまいました。
元旦の朝日新聞生活面(25ページ)の記事より。
「もし、首相になったら何をする?」「30年後の社会は?」――。子供が集まる遊び場や会合、街頭で問いかけ、返ってきた答えを並べてみました。
「お札をいっぱい印刷する」(インフレ誘導すると言うことですね、わかります)とか「DSを100円にする」(デノミする気でしょうか)とか「蛇口からコーラ、授業は体育6割、夏休みは2ヶ月」(究極のゆとり教育!)とか実に子供らしい願いが書いてあって、「リストラのない世界」「借金を返す。まず夕張の、そして日本の」(因みに北海道の小3(!?)です)「今の若者が大切にしなきゃいけないはずの事を伝えたい。自己判断能力と集団生活の大切さ」みたいなまじめ系のコメントも精一杯背伸びしていてほほえましい限りです。
で。どこがショッキングかと言いますと。中央に写真が入ってるんですが、何でも書道教室の子供達に「大人になった時どんな世の中になっていて欲しいか」を題に書をしたためて貰ったそうで、みんな満面笑顔で作品を掲げてるんですね。
その子供達のちょうど中央、どセンターの子供が書いた作品が
政治が
無い社会
どうやら子供達にとって、「政治」は戦争やリストラや病気や不平等と同じく、無くすべきもののようです。
「政治」とは要するに社会を潤滑に運営する仕事で、より具体的には「人と人の意見(多くは利害)の相違を調整する行為」だと理解しています。
今まで何千年もの間必要性が揺るがなかったモノがものの30年で無くなるとはとうてい思えませんが、もし無くなるとしたら、それはどういった社会でしょうか?
恐らくこれを書いた子供が想定している社会は「全ての望みがかなう社会」か「不満が当事者同士の話し合いだけで解決できる社会」なのではないでしょうか。ある種のユートピア思想に通じるモノがありそうです。「もはや人々の間を調整する必要のない社会」ですね。全ての望みが叶うなら、モチロン政治は必要ありません。問題は、望みが人によって違い、それが干渉し合うことでしょう。田中芳樹先生ではありませんが「私の嫌いな奴が不幸になりますように」という願い*2は、「全ての人の願いを叶える」ことの不可能性を表しています。
実際、政治を無くすことはなかなか難しそうです。ただ、政治の影響力を減らすことは出来るかもしれません。例えば社会の構成員が皆同じ価値観を持っていれば、調整の必要性は大きく減じられます。あるいは調整役に権力を集中させ、規範を無理矢理受け入れさせることによって政治をウルトラ化させるとか。なんだかテロ組織か宗教結社的な性格を持った社会ですが。いずれにせよ、個々人の独立した要求こそが政治の必要性の源泉なので、価値観が統一されれば問題はずっとシンプルになります。同じ物を望み、同じ星を仰ぐ人々に必要なのは同じだけ与えることのみですから*3。
政治を嫌う人がいることは理解できます。しかし、政治が必要悪*4であると同時に、自由の証であることも忘れてはいけないでしょう。
と言う訳で、個人的には「政治のない社会」の子のすぐ下の、この作品が気に入りました。
お金が
貝になってる世界
……本当に良いのかそれで?