3が付く数で厄になる。
明日は七草。何とか引っ張ってきましたが流石に正月旅行ネタを続けるのも今日で限界っぽいです。と言う訳で佐野話ファイナル。最後はちょっと地雷をつついてみましょう。
佐野と言えば? そう、佐野厄除け大師です。私はハナから眼中になかったんですが長老連中には見逃せないプライスらしく、人混みに怖じ気づく男衆を尻目に愚母上様が叔母様達と連れだって、元旦の初詣を敢行して来ました。思いっきり想定の範囲内ですが、なんでもすごい混み様だったとか。「普通にお参りしたら、あれは絶対4時間はかかっていたわね!」と帰りにラーメン食べてオマケにお土産抱えて3時間で帰って来た愚母上が鼻息荒く報告しましたが一体どんな普通でない方法で2時間短縮したかは怖くて聞けませんでした。他にも「バスを電話で呼びつけた」とか様々なエピソードを刻んできたらしいのですが、まあこんな内々の話を聞かされても*1詰まらないでしょうから割愛します。
さて、愚母上様によれば今回の初詣は、従姉妹の厄落としも兼ねているんだそうです。だったらそんなことやっちゃダメだろ何やったか知らんが、と喉まで出かかりましたが、よく考えたら私もおもっくそ悪いことばかり書いてあるくせに半吉、とかぬかした御神籤を鯉のエサにしてやりましたので人のことは悪く言えません。ま大丈夫でしょお麩に練り込んだし。
それはさておき。あれ、従姉妹ならもう厄終わったんじゃなかったべか? と疑問に思って尋ねてみたのですが、それで驚愕の事実を知りました。と言う訳でここからが本題。
厄年になる可能性
ウィキペディア(Wikipedia)の「厄年」の項目をご覧下さい。男性の厄年が数えで25・42・61歳と青年・壮年・初老と幅があるのに対し、女性の厄年が19・33・37歳とエラク偏っていることに気付きます。このことは、
人生のうちでも曲がり角でもあり、男性の場合は社会的にも責任が重くなり、それゆえ精神的・肉体的にも疲労などが多く、女性の場合は子育てあるいは主婦として非常に多忙な時期でもあり、いずれにしても体調や精神的に不安定になりやすいとされている。そのため、不慮の事故やけが、病気なども起こりやすいとされている。
なんてウィキペディアにそれらしく書かれてる厄年の根拠に、重大な疑義を差し挟むものです。巧妙にスルーされていますが、仮に厄年が生活スタイルとその変化によるものであれば当然、女性にも男の61に相当する「厄」を考慮するべきでしょう。女性だけが老いないはずはありませんからね。
さらに問題なのが、厄年には上記の3つ「本厄」の前後に、前厄と後厄が設定されていると言う事実です。最初に聞いた時は冗談だろうと思いましたが、そのせいで女性は18の前厄から38の後厄までの20年間のうち、およそ半分が厄年になります。三十代に限定すれば半数以上の6年間がなんやかやで厄年。まさに3が付いたらなんとやら。従姉妹はそれに巻き込まれたんですね。
もともと厄年に関しては「ライフスタイルが変わってもアップデートできない時点で合理的根拠がない*2。バイオリズムやバカラ数秘術の日本版ってとこ?」と切って捨てていたのですが、今回こうして改めて見ると少し違った感想を持ちました。少々穿ちすぎる見方かもしれませんが、この偏った数字、ひょっとして合理的な基準で選ばれたのかもしれません。ただし神社の経営戦略上の。
二十代前半で出産した女性は、それこそ育児に追われて余裕がないし、放っといてもどうせ七五三で神社にやってきます。問題はその後。育児も一段落して家庭環境にも慣れてきた三十代真ん中あたりの信心深い女性を、いかに神社に引き寄せるか――あの偏った数字は、実の所そう言う基準で決められたような気がしてなりません。
モチロン、ソースは脳内です。何の根拠もありませんが、ウィキペディアを覗いても「42は死に」「散々で33」程度のダジャレしか由来が載ってません。この際私の説で良いんじゃないですかね、ダジャレよりはましでしょう?
厄年が迷信であるのは、今更わかりきったことです。改めて非難する必要性も薄いし、何を信じようがそれは個人の自由でもあります。従姉妹の身を案じ、厄除けに行った叔母上様愚母上様の行為をくさすつもりも全くありません。
ただ、私は厄年という存在を否定します(byサイバラ)。