自由を貶めている者は誰か?

 更新しようとネットに繋いだら、ちょっとあんまりなニュースが入っていました。今日は新ボカロを話題にしようと思ってたんですが、あまりに酷いので急遽予定を変更してDISり思う所を書きたいと思います。巡音さんの話題はまた今度。
母親「パチンコに行っていた」共同通信

焼け跡から子ども3人の遺体が見つかった火災で、子どもを残して病院に出掛けていたと説明していたTさんがその後、松戸東署の調べに「パチンコに行っていた」と話していることが7日、分かった。

元記事では「Tさん」では無く実名です。

 このニュース、一体何が言いたいんでしょう
 こんな報道に、どんな公益があるのでしょうか?
 外出する理由がそんなに重要でしょうか。通院ではなくパチンコだった事で、何かこの痛ましい事故*1の本質が変わるんでしょうか?
 3人の我が子をいっぺんに亡くした人を全国に晒し、更に糾弾の刃を向けさせることにどんな利益があるのでしょうか?
 それともこの実名報道によってTさんがどうなるか、想像できないほど配信記者は愚かなのでしょうか?

 幼児3人を置いて外出したTさんは、なるほど、非常識かもしれません。
 我が子の喪失という、思いつく限り残酷な罰をすでに受けている者に、重ねてむち打たねばならないほどその非常識さは罪深いとは私は思いません。ただ、無くなった3児は親とは独立した存在ですし、保護者には責任があります。結果としてその責任は果たされなかった。だから火災時に「不在だった」と報道するのは良いでしょう。必要な報道であるとさえ思います*2
 しかし、不在の内容まで報道しなければならない理由も義務も共同通信niftyニュース*3にはないはずです。少なくとも、正当な理由は。

 理不尽な、あるいは痛ましい事が起こると、人は何かしらそのことに理由を付けようとします。それが一番直截に現れる現象が「犯人探し」「犯人叩き」です。いわゆるスケープゴートですね。
 本来、マスコミには「真実を報道する」事をもってスケープゴートに祭り上げられそうになった人を救済する役目が期待されています。権力その他によって貼り付けられたレッテルを引きはがすのも、同様に報道機関の責務です。その責務を遂行するために、「報道の自由」という権利はある。
 報道の自由とは、望むまま、望まれるまま報道する自由では断じてない。そんな自由はピーピング紙とタブロイド紙の言い訳の中だけに存在していればいい。望まない物を、隠し報道規制しようとする物を報道するのが、「報道の自由」というマスコミが握った特権的権利のはずです。望まないという対象は、権力者の場合も大衆の場合もある。人々が望まない情報でも、報道機関は報道しなければならない。
 しかし。昨今の、例えば医療訴訟等の報道姿勢は、むしろマスコミの方が積極的にレッテルを貼りスケープゴートを作り上げようとしているかに見える。大衆に迎合したマスコミなど、権力に迎合したマスコミと同様に存在価値がない。そのことに気がついているのでしょうか。

 今回、あの気の毒なTさんを実名で報道したことによって、共同通信の配信記事を無批判に掲載した@niftyニュースはピーピング雑誌と同様の媒体であることをさらけ出しました。人々が望む情報を、ただ諾々と垂れ流す存在であることを。「マスゴミ」と言う言葉は嫌いなので避けていますが、こういった報道機関はゴミの名にふさわしい。
 私は、彼らには「報道の自由」とクチにして欲しくないですね。臭いが移りますので。


 追記 1月8日
 一部修正。配信者と掲載者は分けて考えるべきと思いましたので。それと、朝日新聞にも同様の記事が掲載されたのを確認しました。恐らく他のニュース媒体でも同様なのでしょう。報道に携わる人は今一度、己の使命に思いをいたして頂きたく思います。

 追記2
 モトケンブログ様でもこの問題を取り上げていました。報道の意図と影響を考えさせられたニュースどうやら殆どの報道機関でパチンコを報じたらしいです。報じることが何をもたらすのか。そのことに無自覚でいることで何を失うのか。 

*1:出火原因は調査中らしいですが、ここでは事故としておきます

*2:不在でなければ防げたのなら、防止策を検討する際に参考になるでしょうから。育児支援と同じラインに並ぶ話かもしれません。いずれにせよ、不在の理由は関係ないですね。

*3:共同通信は配信でしたので修正。しかし、普段ネタに使っているとこう言う時不便