狐に化かされないために

 「管狐を見る方法」をご存じですか?
栞と紙魚子の百物語 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)によると、一番手軽な方法は「股の間から見る」事だそうです。コチラで立ち読みできますが、4ページ目で栞と紙魚子(制服の女の子達)が管使いの管正一(校門前にいる男子生徒)にしている挨拶がそれ。
 今日、街でこの方法を実践している方に出会いました。
 たまたまパンを買いに出ていて目撃したんですが、件の方、男性はこの寒空にジャージ姿、やや垢染みた顔をなさっておいでで髪はボサボサ、以上から推測するに恐らく修験者です
 行者は、道路脇に設置してある自動販売機にすたすた近寄るとクルリと振り返り、自販機を「観」て、そして何事もなかったように去って行かれました。
 厳しい修行の成果か、はたまた単なるカンかはわかりませんが、どうやらその行者はその自販機に何らかの妖異を感じられたのでしょう。すぐ脇だったので、私も改めて(股の間からでなく普通にですが)見直してみました。が、凡骨には何の変哲もない、ただの自販機にしか見えませんでした。モチロン、小さな狐が憑いていることも背後にしっぽが生えていることもなかたです。
 今となっては、その自販機に果たして管が憑いていたのかどうか、知る術はありません。が、例えば深夜見渡す限りの闇の中でただ一つ煌々と明かりを灯し、温かい飲み物を、あるいは冷たい清涼な飲料を提供してあまつさえ「ありがとうございます」などと答える自動販売機にお似合いなのは、小銭ではなくお供えであるような気はします。少なくとも消費税分の銅貨よりお揚げのほうが相応しいのは確かです。
 
 実を言うと、この行者と同じ事を私もしたことがあります。それはまだ幼い日々のことで、目的も管を観る事ではなく(管という存在そのものを知らなかった)、自販機の下に落ちている小銭を集めることでした。世の中には「地見師」なる地面に落ちているお金を集める専門職もあるやに聞いておりますから、かの行者の目的もあるいはそうだったかもしれません。
 だとしたら、彼が見破ろうとしたのは管狐ではなく、資本やら金融やら貨幣やら言う世の中に幅を効かせている妖術なのかもしれませんね。