霊能者が行っている事

 WBCをTVで観戦したんですが、何というか日本、キューバに相性良すぎ。ほとんど属性で勝ったような試合運びでした。これでキューバが韓国に圧勝したら見事な三竦みなんですけどね。まあ、負けなくて良かったですイチローにもヒット出たし。
 さて、そんな時事ネタとは全く関係ないんですが、ちょっと気になったニュースが。「霊が見える」…やはり怪しかった陰陽師、お縄に 3月19日14時35分配信 読売新聞

 陰陽師(おんみょうじ)を名乗り、知人から金をだまし取っていたとして、兵庫県警姫路署が同県姫路市豊富町甲丘、福岡星代容疑者(44)を詐欺容疑で逮捕していたことがわかった。
(中略)
 捜査関係者らによると、2003〜04年、市内のパート従業員の知人女性(44)に、「私は霊感のある陰陽師。流産した子に会わせてあげる」などと持ちかけ、数十回にわたって計約40万円をだまし取った疑い。

 福岡容疑者は、02年11月頃、「霊が見える」と別の知人に話したところ、「陰陽師みたい」と言われたことをきっかけに犯行を計画。「冬山で皮膚の感覚がなくなるまで滝に打たれた」などと虚偽の話を、悩みを持つ知人に信じ込ませ、「家族の不仲は悪霊のせい」などと告げては、除霊料や護符料の名目で、2000円〜2万円を詐取したという。

 当方、陰陽師と言ったら夢枕獏岡野玲子の最後とてつもなく難解なマンガ位しか思いつかない凡骨ですが、それでも「陰陽師」と「陰陽道」、「霊能力者(霊が見えると言うだけなら単に見鬼?)」がそれぞれ階層の違った言葉であることは知っています。陰陽道的に霊は関係ない、という批判を多く目にしたんですが、まあ、陰陽道をベースに独自の手法を編み出した霊能力者が陰陽師を名乗る、という事はあり得る話ではあります。その場合、陰陽道でないのに陰陽道を装うニセ陰陽道、とニセ科学と同じ理路で批判することは妥当ではあるでしょう。むろん、陰陽道を能くする陰陽師がたまたま霊能者であっても一向に構わないんですが。
 さて。直接の容疑は「流産した子に会わせる」と称してお金を詐取した事らしいです。法律には詳しくないのでそれが詐欺に当たるかどうか、専門家の判断を疑うつもりは毛頭ありません。会わせると言って会わせなかったら、そりゃ詐欺だよなと納得できますし。
 問題は最後の「除霊料や護符料の名目で、2000円〜2万円を詐取した」という部分。これ、詐取と言うからには除霊や護符が偽物だったという事でしょうが、本物かどうかどうやって判断したんでしょうね?
 思いつくのは、来歴を偽っていた、ということです。霊験あらたかな来歴を説明してもって効果を謳っていたのなら、そこで嘘をつけば虚偽の説明に当たります。例えば、ルルドの泉だ、と称して水道水を売れば、効果の有無はともかく衛生面ではその方がむしろ安全でしょうけど詐欺ですよね。上の例で言えば、これこれしかじかな修行によって力を得、よってこのお札には効力がある、と説明していたのであれば、その修行はどうやら嘘だったので料金を「詐取」と言っても良いような気はします。
 でも、そうでなければ。単に自作の護符を除霊の効果があると渡していただけだったとしたら。物が物だけに効果がないから排除勧告、と言う訳にはいきません。この手の卑劣な恫喝商売は、効果を客観的に計測できない点が常にエクスキューズとして機能します。そもそも効果がないことを証明できないことが、唾棄すべき脅迫が成立する前提としてある訳で。
 証明も検証もできない事柄を原因に据え、これまた検証も証明もできない方法で取り除く――。オカルトとは隠された知識、とはよく言われますが、いわゆる霊障をオカルティックな方法で取り除くと言うなら、理路はどうしたってそう言う形を取らざるを得ません。それが霊能力の本質だと言っても良いでしょう。上記の自称霊能者が行った行為も、基本的にはこれに沿っています。むろんこの事件に限ったことではなく、似たような手法は手を変え品を変え、良心的かどうかにさえ関わらず多くの霊能者が行っています。あわてて付け加えますが、今回自称霊能者が行った行為は詐欺ですが、他の全ての霊能者が皆詐欺師な訳ではありません。霊能によって救われることもあるでしょうし、多くの人を救った霊能者もいるでしょう。ただ、オカルトはオカルトであって呪術は決して科学ではない、という当たり前の事を鑑みると、効果が証明できないのは当たり前の前提で、にもかかわらず簡単に「詐取」と書かれると問題の本質を理解してるのか、ちょっと不安に思ってしまうんです。
 私たち人間は、好むと好まざるとに関わらず、呪的に世界を認識しています。基本的に、オカルトを受容するようにできている存在なのだ、とも言えます。この基本仕様が変わらない限り、この世からあの世は無くならないし、霊能者、トンデモさん、ニセ科学も無くならないでしょう。
 だからこそ、それらを批判し続けることが必要であり、重要なのです。
[rakuten:book:11508350:detail]