科学教について

 連夜の実験の御陰で二日、いや三日酔いです。これも実証データを得るために必要な貴い犠牲です。皆様、伏崇めたまい。因みに我が家の二日酔い対策は迎え酒です。この伝統は私の代で絶ち切ります。
 という事で、今日は軽めに、思った事を。
 某所で、というかあちこちで耳にするのですが、ニセ科学批判者の事を「科学教信者」と揶揄する事があります。科学科学とそんなに好きなら結婚しちゃえばいいのに! とか言うなら聞かないでもないですが、信仰となるとこの揶揄、かなり的を外していると思うんですね。
 うっかり科学を信仰しちゃうようなおっちょこちょいは、多分ニセ科学よりオカルトを攻撃するんじゃないかと思います。だって、ニセ科学は必死に科学にすり寄ってきますがオカルトは科学を否定、あるいは無視してるでしょう? 実際、ニセ科学擁護派に科学教信者は多いように思います。ニセ科学側は(自分サイドの)実験データ一つで常識も社会構造も覆せると主張してきます、血液型性格判断なんてクリティカルにそうですよね。関連性がある、だから活用すべきだと。本来、「科学的に実証されている」ことは、社会にその結果を広範に適用する為の大前提に過ぎないんで、非科学的であったら門前払いされるけど、科学的でありさえすればいい訳じゃない。例え科学的に正しかったとしても、やっちゃダメなことはやっちゃダメです
 で、科学教信者なら、その「やっちゃダメ」と判断する価値観そのものを攻撃するんじゃないでしょうか。だって、科学こそ唯一、かどうかはともかく真理と考えているんですよね? だったら、正しいにもかかわらず拒否するってこれは明確に教義の否定じゃないですか。
 果たしてそんな主張をするニセ科学批判者がいますかね? イヤいたっていいんですがよくないですが、その場合その人を名指しで批判してやればいい話です。少なくとも私や私が知るニセ科学批判者はそんなことしませんよ。そうですよね?
 科学は実に有効なツールで、多くの人に信頼されてます。それこそニセ科学信奉者も含めて多くの人が信用している。でなければそもそも科学を装うはずもないですし。
 だからこそ、その信用を裏切るような行為は批判されます。科学ダーと宣伝している科学でないモノを、それは科学でないよ、と指摘することには既に意味がある、という事です。その上で、ダメなことはダメと、科学とは関係なくやっちゃダメなことは、やっちゃダメですよ、と批判することはあるでしょう。同じ人間として。
 このニセ科学批判のあり方に、「科学教信者」なる前提は不必要です。


 あー、アタマガイタイ……。かなり荒い意見ですが、まあ、メモとして。今日はこのくらいで勘弁してやらぁ。ううう、お茶が美味しいなぁ。