科学技術立国ニッポンの本棚

 こんなエントリーを読みました。
 大「脳」洋航海記 日本はもはや科学先進国たり得ない:Natureが描く「科学技術立国ニッポン」の崩壊

日本では1998年から2007年の間に大学で働く研究者は146,000人から168,000人へと15%も増加しているが、他方で37歳以下の若い研究者の数は36,773人から35,788人へと減少し、ついに全体の21%にまで割合が低下している。そしてその未来も暗い。理工学を学ぶ大学生の数は1992年にはおよそ100万人だったのが2008年にはおよそ63万人にまで急落しているのだ。
(中略)
国際化が進んでいる今日において、日本全体における博士号(Ph.D)取得者のうち外国人が占める割合はたったの10%に過ぎない(アメリカでは42%、イギリスでは41%)。日本の大学や研究機関における外国人研究者の割合はわずか1.34%にしかならない。一方で、日本人研究者ももはや海外に行きたがらない。(中略)3ヶ月以上国外の研究機関に勤めている日本人研究者の数は1997年には7,118人だったのが2006年には4,163人に減った。今年の白書は、海外で研究したいと答えた日本人研究者がたったの2%しかいなかったとも報告している。科学的に才能ある人材を巡って国際的な競争が激化する中にあって、日本は内側に引き篭もろうとしている。

さらには、何年も取り組みがなされてきているにもかかわらず女性研究者に対する支援策は大した成果を挙げていない。全体で12%を占める女性研究者の地位は未だに低いままである。
(中略)
もはや国外から多くの才能を呼び込める希望がほとんどない以上、日本は若手研究者になかなかテニュア・ポジションやその他のチャンスを与えてくれない旧来の人事体系を改めていかなければならない。日本は、アカデミアの人事体系が破綻しつつあるにせよ単にまともに発展していないにせよ、才能ある人材を逃し続けていつまで平気でいられるのだろうか?

若手研究者の独立を促すための十分な報奨も支援もない中、いま日本は科学先進国としての地位から転げ落ちようとしている。

(中略)
ひとつ注目すべき点として、このNatureのeditorialは「どうしたら改革できるか」という論点にもはや重きを置いていません。むしろ「もう何をするにも遅きに失していて科学技術立国ニッポンは崩壊する」というニュアンスのことを述べています。
(中略)
社会全体に基礎科学を受容する環境も雰囲気も醸成されていないというのに、Cell / Nature / Scienceにバンバン論文を載せるような海外の科学先進国に憧れて、身の程知らずにも「科学技術立国ニッポン」などと言い出して無理やりアカデミアを膨張させたのがいけないのです。

だから、身の丈にあったレベルにまでアカデミアを縮小させて、日本からCNS各誌に論文を載せるなんて夢のまた夢という時代にまで後戻りさせるべきなのです。それができなければ、その古きよき時代よりさらに低いレベルにまで転げ落ちていくことでしょう。それは、まさに「科学技術立国ニッポン」の崩壊と終焉です。


 ※(中略)はみつどん

 背景には、いわゆるドクター・ポスドク問題に有効な手当ができなかった結果、大学に人が残らない、という事情がありそうです。この点に関しては引用先に関連エントリーのリンクがありますので、私ごときが何か言うより素直にそちらを参照下さい。私としては、長期的展望を示さずあるいは最初から目標となる社会モデルを構築できず、場当たり的に対症療法していった結果、エライ事になって若い人に見放された、と門外漢ながら*1感じております。要するに、科学行政の戦略的敗北、と言う事ですが。何の為の長期政権なのかと小一時間問い詰めたいですね。
 もっとも、責任の所在が最終的にビジョンを示せない・示さない政治家にあるのだとしたら、そいつを当選させた国民もまた責任の一端を負わざるを得ません。卵が先か鶏が先かという話ですが。
 今回は、鶏が先かも、というお話です。

おかしな本屋

 当ブログでも何かとお世話になっている かめぞPSJ渋谷研究所Xさんと菊池誠kikulogさんの共著、『おかしな科学―みんながはまる、いい話コワい話』が発売されました。

おかしな科学―みんながはまる、いい話コワい話

おかしな科学―みんながはまる、いい話コワい話

 思う所あって敢えて注文せず、本屋を直接足で探す作戦に出たんですが、その結果かなりショッキングな事実を知ってしまいました。
 『おかしな科学』が手に入らなかった事は、まあショッキングな事実ではありますが、いいんです。いかに「おか科」とは言え、かめぞ&きくち最強タッグの読んで楽しく、読み終わって為になる古今まれに見る名著「おか科」とは言え、本屋にとっては商品ですから、ま、たまたま物の価値が分からない店主が10人並んでいたって、(主に販売機会ロスを招いている本屋が)悲しむべき事態ではありますが、理解できない事でもありません。
 ショックだったのは、そもそも本屋さんにこの本を置くべき棚がない、と言う事実です。「おか科」は当然「お薦め本」あるいは「当書店一押し」、百歩ゆずって「新刊本」のコーナーが相応しい置き場だろうとは思いますが、まあ世の中には物の価値が分からないボンクラ色々な方がいらっしゃいますので定位置でも良いとします。となれば、普通に考えて、タイトルにもあるし「科学」の棚こそ相応しいでしょう。店員にサブカルチャー系の軽い読み物と受け取られれば、「サブカル」「雑学」あるいは「社会・時事問題」一捻りして「精神世界」と言った所も探すべきでしょうが、何にせよ最初に探すのは「科学」の棚です。
 その「科学」の棚がないんです。科学コーナーそのものが。10件全てで、ですよ。まさにショックサイエンス。
 別に小規模な書店ばかりをチョイスした訳ではありません。そりゃそうですよ、早く読みたいし。こちらとしても、コミックと雑誌が中心な小さな本屋は最初から除外して、ある程度ハードカバーも扱っている書店を中心に選択しています。10件の中には、原語の洋書を置いてあるかなり大きな規模の本屋もありました。
 棚が、コーナーがなければ科学全般を取り扱った本――例えばデバンキングやニセ科学対策関連の本は、書店に入る事すらできません。中には、「人文」というコーナーに『理科年表』他が置いてあった書店もありましたが、これはむしろ笑う所ではなく褒める所でしょう*2。実際、カテゴリーでは売れ筋な「と学会」の本ですら、雑学やサブカル、歴史・宗教に振れてないとなかなか置かれない状況です。
 これが何を意味するのか。要するに科学技術立国の本屋に科学の棚がないってどうよ? と言う事です。いや、もう一歩踏み込んでそんな科学立国があるか!と言う話ですね。
 むろん、書店に罪はありません。売れない本を置いておけるほど昨今の不況は甘いモノではありません。この辺、流通まで射程に収めると洒落にならないまた別の話になるので今回はパスしますが、誰の責任かと言うなら勿論、買わない私たちが悪いんです。もっと言うなら、世の中をより詳しく知ろうと思った時、理科年表より占いや陰謀論の方を手に取る人々が、本屋から科学コーナーを消した原因であり、また結果でもあります。なにしろ私の手の中に未だない「おか科」を読めば、そんな選択をするはずもないですからね。

絶望は愚か者の結論だとゆーぞ by笑うミカエル

 上では、「科学技術立国ニッポンの崩壊」を本屋で実感した、と言うお話をしましたが、しかし私は別に今の状況に絶望してはいません。崩壊は今や現実の物となっていますが、再建は不可能ではないとも思っております。

この劇は、いわば無学の礼賛とでもいった、偉大なるアメリカの類型を唱道しているのだった。その類型によれば、無知であってこそ幸せは見つかり、教育は野暮なものであって人生の幸福の多くを取り逃がさせてしまう、というものである。
このことと、スポンサーが技術の素養のある者を見つけるのに苦労しているという事実との間に、何か関係があるだろうか。
(中略)
かりに何とかして、すばらしく有能な科学教師を十分に揃えられたとしても、彼らは誰を教えることになるのか? 学生たちの大部分は、子供の時から、教育ある人間の限界だとか自然のままの無知の尊さだとかいったことを、徹底的に信じこまされているのである。
(中略)
幸福で人間的な無知に対するに無味乾燥で世間離れのした教養というこの定式こそは、われわれが何とかして闘って克服しなければならないものなのである。


『生命と非生命のあいだ』33「無学礼賛」より引用。

 これはアジモフ博士が1956年に書いた文章です*3。冒頭の「この劇」の内容は、図書館勤めのお堅い女の子が、アジモフ曰く「典型的なアルコール中毒に陥ってゆくにしたがって」幸福を掴む、と言ういかにもなものです。
 さて。アジモフに「無学礼賛」とまで言わしめたアメリカは、この直後「スプートニクショック」に見舞われ科学技術立国として邁進していきます。(もっとも、アジモフに言わせると「なるべくなら絶壁はそこから落ちる前に発見できた方がいい。後で悲鳴を上げるのは、誰にでもできるのだ」)半世紀経った現在、他ならぬ科学技術の力によってアメリカは世界に君臨しています。
 もう何をやっても手遅れだ、ということは、大抵の場合ないんです。
 日本が再び科学技術立国になる為には、幾つかのハードルがあるでしょう。でも、まず最初にやらねばならないことは、科学の価値を皆が認めること、ではないでしょうか。
 科学が、こと自然を冷静に分析する事に関しては最強のツールであることを、多くの人達が認めれば。本屋に科学の棚が帰ってきます。
 それこそが、ニッポンが再び科学技術立国として歩み始めた、その一歩目となるでしょう。
 

 と言う訳で、明日自転車で行ける範囲内*4では最大規模の11件目に行ってきます。なかったら諦めて注文します。あるかなぁー。
 

*1:この表現、女性はなんて言うのが適当なんでしょうね?男で老婆心、とかも。

*2:ゴー宣や『田母神塾』をノンフィクションの棚に置いてあった本屋は、明らかに笑い所でしょうが

*3:真面目な部分だけ引用したので印象が堅いかも知れませんが、眼鏡やSFに関する面白い考察もありました。アシモフの科学エッセイ4、お薦めです。

*4:ま、往復で50?近くあるけども。ママチャリだけども。だから最後の手段だったんだけども。