やがて日が過ぎ年が過ぎ 世界が色あせても

T-3don2009-09-15








これからおこる可能性のひとつを空想してみるのと同じ感触で過去は幻想にまぎれる。
彼女のひだり目の中にわずかな傷をみつけたのは、いま一瞬のここではない。


                        ノスタルジア1907

 意味深に始まりましたが、生存報告&ビールエントリーです。いやぁ、危うく一ヶ月間も放置する所でした。
 のっけから極個人的事情で恐縮ですが、今月9月はわたくしの誕生月です。そうね、誕生石ならルビーサファイアなの。具体的な日付に関しては来年エントリーにしようと思ってますので(要するに間に合わなかった……orz)、自分にリボン巻いてプレゼントしようとしていた女子高生諸君、残念だけど成人来年まで待ちたまい。
 正直、この年*1になると誕生日なんざ別に嬉しくもない、っていうかむしろ残り時間のカウントダウンみたいで不愉快なんですが、それはそれとしてこの世に生まれ落ちた喜びを改めてかみしめるのも悪くないです。おめでとう、私。みつどんがいない世の中なんて、カツ丼にグリーンピースがのってないようなモノですよね皆様*2
 さて誕生日と言えばお誕生会。♪9〜月〜は誕生日〜で酒が飲めるぞぉ♪。飲める飲める飲めるぞ、と発想してしまうのがダメな大人という代物で、毎年ささやかに誕生祭を寿いでいたんですが*3、今年は訳あって外飲みにする事にしました。
 きっかけは、最近やってるお仕事。古い顧客名簿をパソコンに入力するお仕事で、これがまた丁度私が生まれた頃から子供時代の名簿だったりするんですよ。こんな名簿今更何の役に立つんだ?と思わなくもないですが、社長曰く
「いやぁスマンねそんな仕事しか無くて。今月辺りからバリバリ仕事して貰おうと思ったんだけどねぇ。ホテルの内装関係が2件ともホテルごと消滅しちゃってさぁ。全部で2億位溶けちゃったよ。あはは」
 社長、それは笑い話なんでしょうか。それとも笑うしかない話なんでしょうか?
 大人になると知らなかった方が良い事を色々と知ってしまいますが、そんな訳で子供の頃を色々と思い出してしまう今日この頃な訳です。ええ現実逃避ですが、何か?
 で、お誕生日絡みで思い出したことが一つ。その昔、両親にお誕生会代わりに居酒屋に連れて行って貰った事がありまして。当然子供はノンアルコールですが、スポンサーより「今日は誕生日だから、何頼んでも良いぞ?」的なお許しが出て、当時肉食系男子だった(普通)私は唐揚げとか角煮とか頼んだ覚えがあります。
 その豚の角煮がダイナミックでして、とにかくでっかい固まり肉がドカンと。角煮というと消しゴム大の固まりをお箸で「つまんで」食べる物だと思っていた少年時代の私は、白い脂身にお箸を沈めてお肉の繊維を断ち割っていく感覚にすっかりカルチャーショックを感じてしまいました。その後の角煮観を支配する強烈な体験でしたね。
 

テジャッカーの休息

 ってな事を思い出して居ても立ってもいられなくなった私は、少年時代を追体験すべく居酒屋に乗り込んだのでした。実を言うと根っからのテジャッカー部員*4&家飲み派なわたくし、外飲みは素人同然。っていうか一人で外飲みなんて初めてかも。
 兎にも角にも角煮とビールをオーダー。

チョットしょっぱいけど、コッテリしてなかなかのお味。ただ「あの豚の角煮」とはほど遠い迫力。まあ、それは仕方なし。
 せっかくなので、連れがいたらできない事をやってみた。

私の連れは、何故か皆「盛り合わせ」が大嫌い。しかして私は「盛り合わせ」の類に目がない。 焼き鳥を「当然、塩」などと書いてるブログを発見してしまったのでタレも頼んで比較してみた。焼き鳥の醍醐味は、むしろよく育ったタレにこそあると私は信じて疑わない。――ただ、手羽先と軟骨にタレは……。まあ、このような思いがけない味に出会えるのも盛り合わせの良い点ですね。
 ところで、ここは満点生なお店だったらしい。

 思い立ったら検証に入るブログ脳。と言う訳で、生ビールと瓶、味を飲み比べてみました。
 

 結論:生ビールの方が冷たい
 

 キリンじゃ対して違いがわかりませんでした。評判がどうも今一つの新一番搾りですが、私は好きですよスッキリしてて。ただ、そのスッキリの御陰で生ビールの良さがスポイルされているようには感じます。ま、単に管理がなってないお店の可能性もありますが。 そうそう、ジョッキとグラスの差を解消する為、生ビールをグラスに注いでいたら隣の〆サバでホッピーを飲ってた渋いオッサンから熱い視線を浴びてしまいました。家飲みの感覚と、こう言う点でもやっぱり違いますね。
 〆は唐揚げ。いかにも今風。
 
 他にお刺身三点盛り*5も食べてます。
 この辺りで、一人呑みの罠に完全に嵌っていることを自覚しました。いつもの感覚で頼んでいたら、量がとてつもなく多いよ!しかも頼む時は食べてないから、運ばれてくるまでそれに気が付かないよ…。
 こうして人は一歩一歩肥満成長していくんですね。今日の教訓:居酒屋には皆で行った方が色々食べられる。 因みに、〆て4500円なり。一人飲みにしちゃ高額ですが、まあこんだけ飲み食いしたらなあ。何だかんだで中ジョッキおかわりしてるし。

風景は後ろに流れる

 さて。ここで巻頭に戻ります。
 私が食べたかった角煮は、唐揚げはこれじゃありません。でも、私はそれを今、求める事が我が儘であることを承知しています。いえ、古きよき時代の追憶の美しさの話ではありません。
 今回入ったお店は、子供の頃行ったあのお店とは違います。こぢんまりとした雰囲気のあるお店でしたが、時代の波に抗しきれずとうの昔に消え去りました。感慨はありますが、同種の体験を積み重ねてきた今では意外とは感じなくなりつつあります。
 そしてたとえ、当時のままお店が残っていたとしても、当時のような角煮や唐揚げはもはや出せないでしょう。食材の質も価格もニーズも変化しています。むしろ逆に、変化させなければ生き残れないでしょうね。
 流れが速い時代――食がシーンやブームで語られるようになって久しいですし、不況の影響も大。実際に、5年で地図が役に立たなくなり、10年で街の景観はガラッと変わります。落ち着かない時代であるのは、それは、その通りです。
 ですが。これは今この時代が抱えている特異な状況という訳でもないだろう、そう私は考えています。今よりも流れの速い時代はいくらでもあった。維新の時。大戦前夜。終戦と復興。
 馴染みの光景は失われ、二度と戻らない。それは時代を問わず変わりません。そして私たちは、今、なう、この瞬間を生きています。今現在この瞬間、今今今今!この一点を境に、今は過去に飛ばされていく。
 過去を思い、失われた黄金の日々を懐かしむ私たちは、今この瞬間にも未来へと進んでいます。過去を編みながら。 ついつい忘れがちですが。私たちが今立っているココは、最先端です。未来を築くというとなにやら前途遼遠ですが、追憶をより甘美にする為に、出来ることが私たちにはある。それは最先端に立つ者の特権と言っても良いかもしれない。
 
 
 「時よ止まれ!お前は美しい」と叫べるほどの人生経験が無い若造が、誕生日を迎えて思ったのは、こんな後ろ向きなことでした。
 

D

*1:私は平成生まれのゆとり世代(キッパリ)。

*2:我ながら絶妙に微妙な例え。因みに私は、入ってたら最初に片付けます全部。

*3:そう言えば4年程前、引っ越しをひかえ金も時間も食材も調理器具も無い状態で、仕方なくサッポロ一番の高級な奴をコンロで煮て祝った事がありましたっけ。「おむすびクリスマス」みたいだな、と分かる人にしか分からない感想を抱いた事を今でも覚えています。

*4:合い言葉は「酒飲みなら手前の酒ぐらい自分で面倒見ろ、人についでもらうのを待つほうがおこがましい」by tsugo-tsugo部長(の、舅様)。この偉大な思想に共感した始末に負えない酔っぱらいはてなハイカー達が日夜精力的に活動報告している。昼は自重しる。

*5:アジにしようかサンマにしようか迷って、結局運を天に任せ盛り合わせにした。内容は赤身・鯛・ハマチ。完敗……。いや!これこそ盛り合わせの良いとこ(ry