「血液型性格判断」批判 前編:ニセ科学批判の練習問題 

 後編→「血液型性格判断」批判 後編:血液型性格判断は差別 
 ニセ科学練習問題とか言うと某αブロガー様みたいで気分良いですが、そう言う話じゃありません多分。前回エントリープロフィール欄の「血液型欄」についてにおいて、TAKESANから頂戴したコメントに「kikulog」様からの引用がありました。

僕はよく血液型性格判断を「肯定派も否定派も論理的誤りをおかしやすい問題」として取り上げます。
血液型性格判断を否定する立場の人も「どういう意味でニセ科学と呼ぶか」をよく吟味しないと、なんだかおかしなことになりかねないです。その意味で僕は「練習問題」と位置づけています

  引用部分は面接で血液型を訊かれた人募集、コメント99TAKESAN August 20, 2007 @01:10:31に対するきくちさんのレスの部分ですね。きくちさん、とはこのサイトを運営なさっている菊池誠先生*1のことで、一言で言えばニセ科学批判の第一人者です。
 引用先のkikulogは改めて説明するのも憚られる著名なサイト――「ニセ科学」と言う言葉を選択的に使用していてこのサイトを知らない人はモグリごく少数でしょう――ですが、ご存じない方に簡単に説明すると、ニセ科学を語る上で外せない総本山的なサイト、です。詳しくはご自分の目で確かめて頂くか、あぶすとらくつ様のトップエントリーに詳細な説明がありますので参照下さい。<いつも勉強させていただいている巡回先>の筆頭がkikulogです*2。因みに、私が同様のリストを作っても筆頭はkikulogでしょう。2番目にものすごく悩みそうですが。
 私もニセ科学批判にコミットするべく意思表示している身、血液型性格判断を批判的に取り上げた事でもありますし、良い機会なのでこの「練習問題」に正面から取り組んでみようと決意しました。止めときゃよかった。そんな訳で、ここ数日ウェブをひっくり返して資料を漁ったり関連エントリーを見直したりニコ動見たりビールを飲み干したり肴のレシピを検索したり酒そのもののレシピを以下略して精力的にカンニング調査していた訳ですが、調べれば調べるほど問題のAB○FAN氏難しさが顕わになってきまして*3、なかなか収拾付きません。後悔しきりこれは結構大変でしたよ。
 とは言え、キリがないのも確かなので。ここらで一端形にしたいと思います。

 

結論:性格と血液型に(強い)相関関係は見られない。

 さて、散々難しいと強調しながらこう言うのもナンですが。結論に到達すること自体は実に簡単です。恐らくこれを読んでいる皆様もとうに結論をお出しになっていることと思います。
 「血液型だけで性格なんて判断できない」(※追記・コメント欄参照)
 はい、その通り。
 今回色々と調べて見ましたが、血液型で性格が判断できる、と言う主張はかなり早い段階で否定されています

1927年(昭和 2年)8月,血液型性格関連説は東京女子高等師範学校(Tokyo Higher Normal School for Women)教授,心理学者の古川竹二氏の仮説から発祥しました*4
古川氏は,自己の血族・同僚・卒業生・友人・生徒合計319名につき,ABO血液型検査を実施し,同型の血液を有する者はほとんど皆類似の気質的傾向を有する現象を見出し,気質と血液型との間に仮説を立てた「血液型による氣質の研究 ; A Study of Temperament by means of Human Blood Groups」という論文を日本心理學會誌「心理學研究」に投稿しました.しかし,この説に関する研究がおこなわれ,関連があるという仮説が支持されなかったため,一旦消失しました.
戦後にはいり,その説の影響を受けた作家の能見正比古氏著「血液型でわかる相性」や能見俊賢氏,鈴木芳正氏らの著作によって血液型性格判断(血液型人類学)は流行しました.
80年代後半より,心理学的にABO血液型と性格の関連は検出されないという追試,検討結果が心理学者によって盛んに報告されました(性格関連以外にもさまざまな行動傾向なども検討されています).
その概要は,古川,能見説の追試,性格検査による検討,他者評定による検討,大規模全国調査による検討など多数研究されましたが,ほとんど関連が検出されない結果で,仮説は棄却(すてて用いないこと)されました.

血液型占いの科学:血液型占いの科学的見解より引用。脚注は私。注意すべきは、仮説は相手にされなかったのではなく、十分に検証され、その結果否定されたという所です。
 この結論は専門家である心理学者・科学者に広範に支持されています。一部妄想暴走した肯定派の「学会(心理学者)や心理学の手法そのものが間違っている!」と言う妄言を事実とでもしない限り、結論は覆らないでしょう。

血液型性格関連説が「科学的」でありたいとするなら、既存の知見と正面からぶつかり、自分のデータの取り扱いと解釈に細心の注意を払うことなのではないか、と思います。心理学者は、血液型性格関連説を無視していません。でも、血液型性格関連説の主張者は、心理学者と、50年以上蓄積された知見を無視しているように思います。

 血液型-性格関連説について:血液型性格判断は疑似科学か?より引用。
 つまり、血液型で性格判断はできない、という結論は揺るがないという事です。なお、引用した二つのサイトにはそれぞれ詳細な解説があって、今回とても参考になりました。

「血液型で性格は判断できる」という仮説は成り立ち得る

 では、どの辺りが「練習問題」なのでしょうか。
 上で「検証され、結果否定された」と書きましたが、過去の学会・学者を信頼するなら、このことは次の二つを示唆しています。つまり血液型性格判断は、


 1、反証不可能ないわゆるポパー的非科学ではない。
 2、心理学他の研究テーマとして取り上げるだけの価値のある(あった)仮説である。
 のです。要するに、(少なくとも当時は)原理的にあり得ないとは言い切れない仮説、だと言うことです。
 原理的にあり得ない仮説を検証するほど、科学者の皆さんはヒマではありません。例えば「水からの伝言」の主張を厳密なコントロール下で検証してみよう、という科学者はいませんよね? 水伝の主張は、そう言った検証作業が無くとも完全に間違っていると結論できる仮説です。一応付け加えておきますが、これは別に科学者の怠慢ではありません。水伝仮説は既存の物理法則や今までの観測結果全てに反した主張ですから、証拠も無しに信じる方がおかしいです。「昨日念力で太陽を西から昇らせた」と主張する人を信じて検証する人はいませんが、その理由は水伝の時とどう違うでしょう?
 血液型性格判断については、科学者は「ありえない」とは思いませんでした。むろん、人口に膾炙した俗説を論破するデモンストレーション的な意味もあるかもしれませんが。
 心理学や大脳生理学が発展した現在においても、人類は尚、性格を決定する因子を完璧に決定できるほど心を精密に取り扱う事はできません。まして、性格は複数の因子が絡み合って決定されると考えられる複雑で千差万別な現象です。おまけに、何かが影響「しない」事を証明することは、悪魔の証明(不在証明)ですので不可能です。
 血液型が原理的に性格とは無関係、そう主張することは現在においてもできないのです。
 

典型的な批判(悪い例)

 にもかかわらず。血液型性格判断を原理的に不可能と批判する方はいらっしゃいます。いらっしゃいます、なんて人事のように言ってますが、私自身やらかしてますね。詳しくは前のエントリーを見てもらうとして、要するに結論こそ正しいもののそれを導く過程や前提が正しくない批判がある、ということです。この辺りが「練習問題」である所以の一つでしょう。
 典型的な例が「脳(神経系)には血液型物質が存在しない」という批判です。これに対する肯定派の反論も含め、残念ながらこの批判は的外れです。私は脳死を死と認めてますが、仮に心が脳に全面的に依存するとして、だから性格が脳だけによって決定されるとは言えません。環境が性格を決定する因子の一つであることは言うまでもありませんが、極端な話男尊女卑な社会であれば、子供が男性か女性かによって環境は大きく変化し得ます。同様に、容貌・身長・体臭その他の肉体的要素は環境を変化しうる可能性を持っています。血液型がそれらに影響を与えるとしたら、例え脳に直接影響を与えなくても、性格の形成に血液型が影響を及ぼすことは十分に考えられます。
 ……と言うような反論をよりトンデモ大胆に提示したのが他ならぬ竹内久美子で、その論の善し悪し(いや善しは無いだろうけど)はともかく

罹病しやすさと性格
彼女の立てた、「梅毒」などなどは、性格と血液型を結ぶ一つの説といえなくはありません。ですから、ここからはデータを取って、検証してください、という領域です。彼女は、血液型別の特定疾患の罹病しやすさが、何らかの行動特性を形成していったということですから、この点に関して実証データを取ればいいでしょう。

 引用は血液型-性格関連説について竹内久美子氏:補論より。言えなくはない、ので、原理的にあり得ないとは言えません。因みに「梅毒」とは「梅毒に罹患しにくい血液型の持ち主は社交的になる(梅毒が怖くないから)」という説のことです。ええ、トンデモですが何か?
 

 悪い例、と言うと語弊がありますが。否定としてはいささか筋の悪い例として、「血液型はなにもABOだけじゃない」という批判があります。血液型と言ってもABO式以外にも様々に種類があり、またABOでも様々な変異型・変種が存在します。極論すれば、全ての人類が違う血液型を持っている、と言う見方もできますね。このことは、ABO式だけにこだわる根拠を揺さぶります。多くの因子があり得る中で、なぜABO式だけを特権的に選ばなければいけないのか? これは血液型性格判断疑うに十分な傍証となります
 しかし、疑うことはできても、このことをもって否定することはできません。たまたまABO式血液型物質が性格に関与していた、と言う可能性をそれこそ原理的に排除できないからです。
 あわてて付け加えておきますが、このことは決して肯定派を有利にはしません。ABO式でなければいけない理由もまた、無いからです。関連がある、という証明責任は、あくまで肯定派にあります。つまり、「何でABO式じゃなけりゃいけないんだ?」という問いかけに、肯定派はデータで答えないといけないのです。上の引用部にもありますが、ここからはデータを取って、検証してください、という事です。
 
 

押さえておくべき前提

 「肯定派も否定派も論理的誤りをおかしやすい」とkikulogのきくち先生は仰います。
 血液型性格判断は何故否定できるのか、ここを正しく把握していないと批判にせよ肯定にせよ、本筋を捉えた議論にはなりにくいです。一番最初に引用したTAKESANのコメントはこう続きます。

私は、血液型性格判断を知った瞬間に、そんな事は無い、と否定した人間なのですが、それも直感的な判断のみに頼ったものであって、的外れだったのですね。大切なのは、実状を理解する事なのに、それが出来ていなかったのでありました。

 大切なのは、実情を理解すること、です。
 結論部で言ったように、血液型性格判断は否定されています。でもそれは、繰り返しますが、原理的に否定されている訳じゃないんです。
 今解っていること、否定派も肯定派も押さえておくべき前提は


 1、検証した結果、血液型と性格の間には強い相関関係は認められなかった。
 2、このことは、科学者・学会に広く受け入れられている。
 この2点です。
 この前提を外して、一足飛びにメカニズム(どうやって性格に反映するか)を論じても、ダイレクトに否定・肯定には結びつきません。筋が悪い、という事ですね。
 肯定派にとっては受け入れがたい事実でしょうが、この2点を受け入れないという事は心理学そのものを否定するか、いっそ学会を否定するか、という話になる事を覚悟しないといけません*5
 受け入れた肯定派がどうすべきかは私には解りません。私にとっては、この2つで十分に血液型性格判断を否定できるので、尚肯定派であるという立場は正直想像できません。
 ただ、前提を受け入れ、ニセ科学としての側面が無くなったとしても(この辺りの理路は次に書きます)、血液型性格判断にはそれでもなお重大な問題が含まれていることだけは念頭に置いてもらいたいと思っています。
 

 次回は、血液型性格判断が批判されなければいけない理由について、ニセ科学批判と倫理の二つの面からエントリーにしてみようと思います*6


追記 2009/03/13
 コメント欄にて、かめぞさんが言及なさっている「ニセ科学入門」とはこちらのサイトです。→http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html
 2番目に「練習問題:血液型性格判断」という項目があります。上記エントリーで触れている問題点をより解りやすく解説したもので、例によってこのエントリーの存在価値が揺るがされていますが、まいいかどのみちここまで読まなきゃわからないし。
 あと、御指摘を受けて一部表記を改めました。訂正をネタに使っているとこう言う時ホント不便です。

*1:よくきくちゆみ菊池聡先生と勘違いなさる私のような方がいらっしゃいますが、別人です。

*2:あぶすとらくつ様も超が付くお薦めサイトです。今回もカンニング参考にさせてもらいました

*3:単に彼の名前が頻出する、程度の意味ですので念のため。彼の主張そのものは当エントリーでは取り扱いません。今後も取り上げないでしょう。彼と対話(?)してきた偉大な先人に私ごときが何か付け加える事ができるとも思えませんので

*4:コメント欄にて、ABOFANさんより「厳密には、発祥というならは原来復でしょう。ただし、実質的には古川竹二氏の仮説であることは事実です。」という指摘がありました。原来復(はら・きまた)の「血液ノ類属的構造ニツイテ」は1916年に発表されたので、確かに発祥という言葉は相応しくないように思います。もっとも、ABOFANさんが言うように原来復の研究は後続研究に繋がらなかったようなので、論旨に変更はありません。

*5:まあ、有意差や帰無仮説など理解し辛い(しかし基本的な)概念を知らなければ1は検証(納得)できませんし、科学(学会)に対する不信感があるなら「心理学界でタブーになっている」などと陰謀めいたことを考えたくもなるでしょうが。でも、そうやって自分はだませても、周りの人は、まあ結構だませるかもしれませんが、だまされない人が必ずいつか立ちはだかる事になるでしょう。「検証でき無いほど影響は小さいが関連はある」などとトンチンカンな事を言い出す事態はできれば避けたいものです

*6:要するに、この期に及んでまだ練習問題が解けてないと言うことなんですが。きょ、強敵だ……