『おかしな科学 みんながはまる、いい話コワい話』

 色々ありましたが、紆余曲折を経て結局近所の本屋に注文した『おかしな科学―みんながはまる、いい話コワい話』。とっくに読了していたんですが、なんやかやとあって書評がこんな時期にまでずれ込んでしまいました。まぁ、どうせ今後100年間語り続けられていくオールタイム・ベストな良書なので、時期はあまり関係ないとは思いますが。来年辺りからは読書感想文の課題図書にも当然選ばれるでしょうねぇ。来年以降の学生諸君。コピペで済まそうなんて太い事考えず、夏休みの課題は自力で終わらせなさいね。参照する際は引用の要件をキチンと守り、帰り際に絶賛ブクマ&アフィリエイト一押ししていく気配りを忘れない事。

おかしな科学 みんながはまる、いい話コワい話

おかしな科学―みんながはまる、いい話コワい話

おかしな科学―みんながはまる、いい話コワい話

 『ポピュラーサイエンス日本版』に連載されたコラムをまとめた本書ですが、帯に「脱力系トークバトル」とあるように、会話形式で進められます。
 医者にダイエットを命じられ「俺から肉と油とビールを奪うな!」と逆ギレする亀さん。
 こりん星人と地球人とで血液型相性占いが成立するか胸を痛める六さん。
 この二人の絶妙なやりとりが本当に面白い

 六:そこまで言うんだったら、フォトンベルトはないという証拠見せてよ
 

 亀:オカルトの人たちってみんなそう言うね。あ、そうだ。この前貸した1万円、返してくれよ。
 

 六:え?お金なんて借りてないよ。
 

 亀:借りてないというなら、ないという証拠を見せろよ。
 

 六:無茶言わないでよ。てゆうか、貸したってほうこそ、証拠見せてよ。

 

 3 スカラー波なんてないですから〜! あるという証拠はどこに? 62p

 フォトンベルトに絡んで、いわゆる悪魔の証明と証明責任の話を取り上げているんですが、ここまで解りやすい説明見た事ありません(亀さんヒドスw)。 
 こんな感じで、各項のテーマについて二人が対話し、最後に日本有数のテルミン奏者ニセ科学批判の大御所菊池誠教授が「どうなのホントのところ」を解説して締める、というのが本書の一連の構成になっています。項目毎のボリュームはさほど大きくなく、もうちょっと、あと少し、と「止められない止まらない」状態で最後までテンポ良く読み進められること請け合い。まあ、こう言う良書は良いお酒を楽しむように少しずつ、じっくりと楽しみたい所ですが。寝る前にナイトキャップ代わりに読む、とか贅沢な感じですよね堪え性がないんでつい一気読みしちゃいますケド。
 とにかく、これだけは保証しておきましょう。上から目線で説教してくるような事は絶対ありません。もし、ニセ科学批判だから堅苦しそう、と敬遠している人がいたら実にモッタイナイ。とにかくご一読頂き、各所で話題になっている六さん萌えを体感して見てください。
 

おかしな科学にはまらない為に

 さて。以下は少々まとまっていませんが、個人的な感想と関連して思った事です。
 おかしな「科学」と銘打ってるだけあって取り上げられているのは大部分ニセ科学関連(項目に関しては楽工社サイトの告知ページで確認頂くとして)なんですが、第3章 思わず信じちゃう「いい話」「コワい話」では一転してニセ科学とは一見関係ないような内容を取り上げています。例えば予知やシンクロニシティ陰謀論など。そう言えばkikulogでも陰謀論は一大テーマです。その事に事ある毎にいちゃもん付け違和感を表明している人もいらっしゃいますね。
 「その驚きは正当か?」「その不自然さは本当に不自然か?」。3章のテーマを簡単に言うなら、その問いかけに帰着します。正しく疑う事はとても重要ですが、山本弘先生いわく「信じる事の大切さは学校で教えてくれるが、疑う事の大切さは教えてくれない」。私は自称なんちゃって懐疑論*1ですが、偶然に必然や関連を見出してしまう、人の基本構造から自由でいられる訳ではありません。まして、ビリーバーは信じる人です。
 陰謀論者は権威を信じず、情報を鵜呑みにする人々を嗤います。しかし実際には、疑った結果主観を元に愚にも付かない妄想を強く「信じて」しまう。科学をリスペクトする人は、学者集団や科学的手法は信用しても、自分の主観と客観は分けて考えるでしょう。渋谷研究所Xさんがなぜ一章を費やしてこれらの問題を取り上げたか。きくちさんがなぜ陰謀論をテーマの一つにしているか。単にトンデモはトンデモを呼ぶ、という以上の意味を私は感じてなりません。
 何を信じ、何を疑うかリテラシーと言ってしまえばそれまでですが。

六:科学的な話をされると、正しい説明でも正しくない説明でも、ちゃんと勉強してなけりゃ、どの道よくわかんないんですよ。それだけに断定的な結論が出ているのがいい、ってなっちゃう。


菊:説明がついているに越したことはないけど、それは飾りみたいなもんだと。


六:わからない言葉や理屈が多いという点では同じですから、どうせ説明の中身がわからないなら、「○か×か、はっきりさせてよ」って、結論だけが欲しくなる。


菊:現実にはそうすっぱりと白か黒かになることばかりじゃなくて、必ずグレーな部分や「使える範囲」があるのにね。



第4章 どうすればいいの? 不安な僕らは権威と二分法に弱い?243p

 権威が正しく機能しているなら。政府や学者やお医者さん――先生の言う事は正しいと納得できるなら、本来このような問題は生じません。専門家に下駄を預けて、人事は尽くした結果は天命、と受け入れていればそれで良かった。
 しかし今日、不信を手にして権威からの自由を得た私たちは、同時に「不安」を抱えている。
 自己責任で選択しなければならない世界において、主観や安心を判断時に優先させるならそれはニセ科学代替療法の得意分野です。科学は、実績や結果を別にするなら、不安に対して必ずしも有効な手段ではない。なぜなら、「現実にはそうすっぱりと白か黒かになることばかりじゃなくて、必ずグレーな部分や「使える範囲」がある」。そして、自然科学とはそのスッキリしない自然に依拠した存在に他ならないからです。そこを無理してスッパリ割れば、どうしたってそれはどこか「おかしな科学」にならざるを得ない。
 だから。ニセ科学対策において決定的に重要な事は、不安ごと世界を受け入れる、と言う事ではないでしょうか。この世界は、歪でハッキリしなくて時に酷く理不尽です。それを、その通りに受け入れる。
 だってしょうがない。私たちが生きている世界は、そう言う世界なのだから。
 
 

*1:ある日、「空を縦横無尽に駆けるUFOの群れを見て「良くできた特撮だなぁ。どんな原理なんだろ?」と思った」夢を見て以来、自分がこの目で見ても信じない程度には懐疑的な事を確信しました。